台湾映画を見てみよう♪

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台湾映画(台湾ニューシネマ)

皆さんは台湾映画を知っていますか?台湾映画とは、主に台湾の資本と人材によって製作された映画のことです。台湾は1945年まで日本の植民地統治下にあり、この時期には商業的な映画製作はごくわずかしか行われていません。日本の支配が終わってから、日本で映画の経験のある台湾人の手で台湾語の台湾映画が作成されるようになりました。

台湾映画の歴史

50年に中国大陸で共産党との内戦に敗れた国民党政府が台湾に逃れてきて、教育宣伝政策の重要な一環として国民党立の撮影所をつくり、北京語による本格的な映画製作を推し進めました。62年の日本の大映の『秦・始皇帝』は台湾との提携で作られ、台湾映画界の技術的な土台づくりに貢献した台湾映画です。

台湾映画と中国語映画

中国語の映画は、それぞれ独自に発展した中国映画、香港映画、台湾映画に分類することが出来ます。台湾映画は、香港映画の流れや中華人民共和国政府による検閲とは一線を画し、台湾のユニークで急速に変化する歴史の中で発展しました。

1930年代の歴史

1937年に日中戦争が勃発すると、映画産業は活動を妨げられ、1945年まで実質的に作品を供給することができませんでした。台湾映画は1949年以降、国共内戦の終結に伴い、中国国民党を支持する映画制作者が台湾へと渡りました。この時期に製作された映画は政府によって公認された中国官話によるものでした。政府は、中国官話を公用語とすることで国家の統一を図る為にその他の方言は制限されたため、台湾語などによる映画は徐々に減少していきました。

1960年代の歴史

1960年代、台湾は近代化の始まりにありました。政府は経済・産業・教育の発展に重点を置き、1963年には中央電影公司(CMPC, Central Motion Picture Corporation)がメロドラマ"健康写実主義(Health Realism)"を売り出しました。この映画ジャンルは、社会経済構造が急速に変化する中で重要だと考えられていた、伝統的な道徳観を養うものとしてとらえられていました。この時代の台湾映画は中華民国による検閲、プロパガンダと密接に関係しています。また、この時期には、伝統的なカンフー映画も恋愛メロドラマと同程度の人気を博していました。瓊瑤はこの時期の映画の元となった恋愛小説の著者として特に有名です。

1980年代以降の歴史

1980年代初期、台湾におけるホームビデオの普及は、映画鑑賞という行動を一般化させました。しかし、台湾の映画産業界は高い娯楽性を有することで知られていた香港映画などの流入という深刻な問題に直面していました。台湾映画は香港映画に対抗するため、CMPCは若いディレクターの育成に乗り出しました。楊徳昌、陶徳辰、柯一正、張毅の4人の若く優秀なディレクターによる1982年の映画『光陰的故事』は、台湾映画の若返り、ニューウェーブの始まりとして有名です。

台湾映画とカンフー映画

ニューウェーブ台湾映画はそれまでの十数年来のメロドラマやカンフー映画とは対照的に、台湾人を写実的で現実的、共感的な描写が特徴です。これらの台湾映画は、台湾の都市部あるいは地方に住む人の真実の物語を描き出そうとし、しばしばイタリアの新写実主義運動の映画と比較されます。ニューウェーブ映画におけるリアリズムの追求は、革新的なストーリー構成によってさらに強化されました。物語はむしろ実生活に基づいたペースで展開されるようになるのです。例として、従来のクライマックスまでストーリーを構築する手法の放棄が挙げられます。

台湾映画と実生活

台湾映画は、実生活を率直に描写するため、ニューウェーブ映画ではこの時代に台湾社会が直面していた重要な課題を克明に調査しています。例えば、侯孝賢は『悲情城市』で、日本統治時代後、中国大陸から移住してきた外省人と本省人の緊張を描いています。また、楊徳昌は『幼なじみ/タイペイストーリー』(青梅竹馬、1985年)、『エドワード・ヤンの恋愛時代』(1994年)で1980年代と1990年代の都市部の若者たちが感じている伝統的な価値観と現代的な実利主義との葛藤を表しています。このことによって、この時代の台湾映画は、近現代の台湾の社会経済・政治構造を表した年代記として捉えることができるのではないでしょうか。

1990年代以降の台湾映画

1990年代に入ると、ニューウェーブ台湾映画は引き続き台湾を描写しながらも、俗に第2次ニューウェーブと呼ばれるものへと変化していきます。例えば、1994年のヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を獲得したツァイ・ミンリャンの『愛情萬歳』では、台北の高級アパートに住んでいるヤングアダルトたちの孤独と絶望、恋愛模様が描かれています。また、頼聲川(スタン・ライ、Stan Lai)の『楽園のかなたに』(暗戀桃花源、The Peach Blossom Land, 1992年)は、異なる脚本で同じ舞台に立つ2組の俳優のリハーサル中の悲喜劇を描写しています。この作品も東京やベルリンの映画祭で高い評価を得ました。

李安

台湾映画において、李安は、おそらく第2次ニューウェーブでももっともよく知られた映画監督でしょう。彼の初期の作品である『推手』(Pushing Hands, 1991年)、『ウェディング・バンケット』(喜宴、1993年)、『恋人たちの食卓』(飲食男女、1994年)では、現代の家族の世代的、文化的衝突にフォーカスしています。彼の最近の作品である『グリーン・デスティニー』(臥虎藏龍、2000年)では武侠ジャンルを復活させることに成功しています。

台湾ニューシネマ

台湾ニューシネマは、80年代から90年代にかけ台湾の若手映画監督を中心に展開された、従来の商業ベースでの映画作りとは一線を画した場所から、台湾社会をより深く掘り下げたテーマの映画作品を生み出そうとした一連の運動です。台湾映画界にそれまでとは全く異なる新潮流をもたらしたという意味で、フランス映画のヌーヴェルヴァーグに相当する運動といえるのではないでしょうか。

台湾ニューシネマの特徴

台湾ニューシネマに属する作品群とそれまでの台湾映画とで最も異なる点は、その写実性にあります。従来の台湾映画が政治宣伝的色彩の強い国策映画や、現実社会とは遊離したいわゆるヒーローもの中心だったのに比べ、台湾ニューシネマの作品には、台湾人の日常生活や台湾社会が抱える問題などに直接向き合い、それを丹念に追うことを通じて、ときには台湾社会の暗部にまで光をあてるといったような内容の作品が多くみられます。

台湾ニューシネマの手法

黄春明など、いわゆる郷土作家の文芸作品を積極的に題材に取り上げていること、それまで公共の場での使用が禁じられてきた台湾語などの方言を台詞に使用するなど、画期的な手法を取り入れていることなども台湾ニューシネマの大きな特徴です。その他、ストーリー展開がはっきりしないこと、スローテンポで、抑揚を抑えた展開のものが多いことなども台湾ニューシネマの特徴といえるでしょう。

台湾社会と台湾ニューシネマ

台湾ニューシネマは、台湾での日常やディテールを丹念に描き出すことを通じて、また『悲情城市』のように、それまで封印されてきた歴史の暗部に光をあてました。人々の間に活発な議論を巻き起こすことを通じて、台湾人々があらためて台湾社会及び台湾人としての各自のアイデンティティに向き合うきっかけを作りました。また、台湾映画界を担っていく新たな世代の監督を多数輩出させたという点で、台湾ニューシネマが台湾社会に与えた影響は意義深いものでした。そして2002年から始まった、台湾におけるフリーペーパーブームの際、ニューシネマを振り返る多くのエッセーや論評が発表されました。

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